こんにちは、芹澤です。
今回は「ダサいかダサくないか」について書きます。
きっかけは、宋世羅さんのYouTube動画です。
「ダサい」という感情を扱った内容で、とても共感したため、この記事を書きました。
詳しくは書けませんが、最近、「この人はダサいな」「これでは人に慕われないだろうな」と感じる場面がいくつかありました。
「人のふり見て我がふり直せ」という言葉に100%同意なので、この記事で言語化し、自分への戒めにしたいと思います。
「ダサい」という言葉は、どこか軽い響きがあります。
判断軸として語るには、少し幼稚に聞こえるかもしれません。
ただ、私は、「ダサいと思うかどうか」という個人的な感覚は、思っていた以上に大切な価値観であり、判断軸になると感じています。
なお、先にお断りしておきます。
これはあくまで、自分自身に向けた物差しの話です。
他人を「ダサい」と裁きたいわけではありません。
自分の行動を決めるときの基準として、どう使っているかを書いてみます。
Contents
行動を止めるのは、理屈よりも「ダサい」という感情
動画の中で、「ダサい」についてのたとえ話がありました。
DV(配偶者や恋人への暴力)をする人としない人の違いは、何でしょうか。
「それが悪いことだと、頭で分かっているかどうか」ではない、というのです。
違いは、「それをやるのはダサい」と腹の底から思っているかどうか。
この話には、なるほどと思いました。
「悪いことだ」「正しくない」という理屈は、頭では理解できても、行動を止める力が意外と弱い。
一方で、「ダサい」という感情は、自分の内側から湧いてくる強いブレーキになります。
浮気、薬物、金銭トラブル、詐欺まがいの商売なども、同じ構造だそうです。
やる人とやらない人を分けているのは、理屈ではなく、「それをダサいと思っているか」なのだと。
何かを判断するとき、よく使われる軸は「損か得か」と「正しいか間違っているか」でしょう。
どちらも大事です。
ただ、この2つは、立場や状況によって揺れます。
その点、「ダサいかどうか」は、自分の中でわりとブレません。
理屈を考える前に、「これはやりたくない」と感じるからです。
この感覚には、2つの働きがあると思っています。
1つ目は、ブレーキです。
得になりそうでも、ダサいと感じることはやらない。
目先の損得に流されそうなとき、止めてくれます。
2つ目は、背中を押す力です。
面倒でも、やった方がカッコいいと思えることは、やる。
迷ったときの後押しになります。
動画では、理屈で動くことを「軽自動車のエンジン」、ダサいという感情で動くことを「ランボルギーニのエンジン」にたとえていました。
どちらも前には進みますが、パワーがまるで違うということです。
「ダサい」と感じる基準は、人それぞれで、上がっていく
もう一つ、動画で印象的だったのが、「ダサい」と感じる分野は人によって違う、という話です。
動画の話者の方は、会社員時代にFP1級の試験に落ちても、「ダサい」とまでは思わなかったそうです。
やった方がいいとは分かっていても、強い感情が伴わなかったため、行動に結びつかなかった。
一方で、「仕事で逃げる・甘える」ことは、ダサいと感じる。
「売上目標に届かないのはダサい」という感情が、数字を達成する強いエネルギー源になっていた、とも語られていました。
つまり、「ダサい」と感じる分野が、その人の行動力の源になっている。
逆に言えば、ダサいと感じない分野では、歯止めがききにくくなります。
仕事では高い成果を出しているのに、別の分野では乱れている人がいる理由も、ここにあるのでしょう。
そして、このダサいと感じる基準(バー)は、成功体験とともに上がっていくそうです。
100万円で満足していた人が、200万円、300万円と、ダサいと思うラインが上がっていく。
「有言実行できないのはダサい」と感じる人には、有言実行が効く。
そう感じない人には、効かない。
この話を聞いて、自分は何をダサいと感じているのかを、一度言語化しておきたいと思いました。
動画では、人を信用できるかどうかも、「その人が何をダサいと感じているか」で見えてくる、という話もありました。
確かに、何をダサいと感じるかには、その人の価値観が出ます。
では、私が具体的に何をダサいと感じるのか。
4つ挙げてみます。
ダサいこと① 自分を磨いていない
1つ目は、自分を磨いていない人です。
私が言っているのは、太っているとか、見た目が整っていないといった状態そのものではありません。
体型は、体質や病気、環境など、人それぞれ事情があります。
そこを「ダサい」と言うつもりはまったくありません。
私がダサいと感じるのは、**「磨ける余地があると分かっていながら、放置していること」**です。
たとえば、外見です。
外見が、人の印象や仕事の評価に影響することは、多くの人が理解していると思います。
第24回では非言語の価値について書きましたし、第43回でも清潔感や丁寧さの話をしました。
それを分かっていながら、
・身体を鍛えない
・食事に気を使わない
・自分に合った服装を選ばない
という状態を続けているのは、勿体ないと思うのです。
正直、これは自分への戒めでもあります。
外見を磨くことは、見栄のためだけではありません。
相手に対する敬意でもあります。
清潔感があり、整っている人と会うのは、それだけで気持ちが良いものです。
そして、身体を鍛え、食事を整えることは、自分自身のパフォーマンスにも直結します。
磨ける余地があるなら、磨く。
それをしないのは、自分のポテンシャルを放置しているようで、ダサいと感じます。
ダサいこと② 人を下げる
2つ目は、人を下げる人です。
揚げ足を取る。
重箱の隅をつつく。
誰かのミスを、わざわざ指摘して回る。
こういう振る舞いを見ると、「ダサいな」と思います。
理由は、人を下げても、自分は何も高まっていないからです。
相手を下げて、相対的に自分が上に見えたとしても、それは錯覚です。
自分自身は、昨日と何も変わっていません。
むしろ、そういう振る舞いをする人は、周りから敬遠されます。
人を下げる行為は、自分の評判を静かに下げていきます。
指摘すべきことは指摘する。
ただ、揚げ足取りのように、相手を下げること自体が目的の指摘は、ダサい。
私はそう思っています。
ダサいこと③ 余裕がない
3つ目は、余裕がない人です。
ここも、ただ「忙しい人」を指しているのではありません。
余裕がないせいで、周りに当たったり、冷たくなったりする人のことです。
余裕がない人間は、人に優しくできません。
そして、優しくない人間は、ダサい。
私はそう考えています。
余裕がなくて、他人に八つ当たりをしたり、不機嫌を撒き散らしたりするのは、見ていて残念な気持ちになります。
もちろん、私にも余裕がなくなる日はあります。
人間なので、仕方ない部分もあります。
ただ、余裕がないことを理由にして、周りに雑に接していいわけではありません。
自分の機嫌は、自分で取る。
余裕がなくなりそうなときほど、意識してそうありたいと思っています。
ダサいこと④ 自分の人生を生きていない
4つ目は、自分の人生を生きていない人です。
他人の人生に振り回される。
たとえば、有名人のゴシップに、ああだこうだとコメントする。
他人の成功や失敗ばかりが気になって、批評して回る。
こういう姿を見ると、「ダサいな」と思います。
誤解のないように書くと、芸能ニュースを見ること自体や、他人に関心を持つこと自体を否定したいわけではありません。
息抜きとして楽しむのは、全然アリだと思います。
私がダサいと感じるのは、他人のことを語る時間やエネルギーの方が、自分の人生に向けているそれより大きくなっている状態です。
他人のゴシップに時間を使っても、自分の人生は何も前に進みません。
他人の人生にコメントする暇があるなら、自分の人生にコメントを残せるくらい、動いた方がいい。
そう思っています。
これも自分への戒めです。
SNSを眺めていると、気づけば他人の話題で時間が溶けていることがあります。
そのたびに、「今、自分は自分の人生を生きているか」と問い直すようにしています。
4つの共通点は「自分を高めていない」こと
ここまで4つ挙げましたが、書いていて気づいたことがあります。
この4つには、共通点があります。
それは、**「自分を高めていない」**ということです。
① 自分を磨いていない
磨ける余地があるのに放置している。
これは、自分を高める努力を放棄している状態です。
② 人を下げる
自分を高める代わりに、他人を下げて、相対的に上に立とうとしています。
自分は何も変わっていないのに、です。
③ 余裕がない
余裕は、日々の準備や、自分の状態を整える努力から生まれます。
それが足りないから、余裕がなくなり、人に優しくできなくなる。
④ 自分の人生を生きていない
自分を高めることに使うはずの時間とエネルギーを、他人の話題に使っています。
向ける先が、自分ではなく他人になっているということです。
つまり、どれも根っこは「自分を高めること」から目を背けている状態です。
私は、そこに「ダサさ」を感じているのだと気づきました。
逆に、カッコいいと思う人
では逆に、どんな人をカッコいいと思うのか。
私の場合、次のような人です。
・内面も外面も磨いている人
・周りから尊敬されている人
・チャレンジし続けている人
・自分の人生を生きている人
内面も外面も磨いている人は、見た目も振る舞いも、一貫して整っています。
周りから尊敬されている人は、人を下げる必要がありません。
自分が積み上げてきたものが、そのまま評価になっているからです。
チャレンジし続けている人は、現状に満足せず、自分を高め続けています。
自分の人生を生きている人は、他人の評価やゴシップに振り回されません。
自分のやるべきことに、時間とエネルギーを使っているからです。
こういう人たちには、共通して余裕があります。
そして、その余裕が、他人への優しさにもなっています。
先ほどの4つのダサいことの、ちょうど逆です。
自分を高め続けている人は、カッコいい。
これが、今の私の答えです。
まとめ
今回は「ダサいかダサくないか」について書きました。
「悪いことだから」「正しくないから」という理屈は、意外と行動を止める力が弱い。
一方で、「ダサい」という感情は、自分の内側から湧き出る、強いブレーキであり、背中を押すエンジンにもなります。
私がダサいと感じるのは、次の4つです。
① 磨ける余地があると分かっていながら、自分を磨かないこと
② 人を下げること
③ 余裕がなく、人に優しくできないこと
④ 他人の人生に振り回され、自分の人生を生きていないこと
そして、この4つの根っこは、**「自分を高めていない」**ことだと気づきました。
「ダサい」という言葉は幼稚に聞こえがちですが、損得や正誤よりもブレにくい、大人こそ持っておきたい判断軸だと思います。
ただし、これはあくまで自分に向けた物差しです。
他人を裁くためではなく、自分がどうありたいかを決めるために使いたいと思っています。
とはいえ、私自身も、ダサくなる瞬間は山ほどあります。
だからこそ、この物差しを持っておく意味があるのだと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
おまけ
「余裕がない人間はダサい」と書きました。
しかし、時間に余裕を持つことは、個人的にめちゃくちゃ苦手です。
仕事ではなんとかなっているのですが、プライベートでは、結構な確率で約束の時間に遅刻します。
だいたい、時間の見積もりが甘いのです。
遅れたら申し訳ないという気持ちはあるので、間に合わなそうなときに車が渋滞していたりすると、イラつきます。
客観的に見て、正直ダサいです。
余裕のあるカッコいい人間になれるよう、頑張っていきます。