第50回 ダサいかダサくないか

こんにちは、芹澤です。

今回は「ダサいかダサくないか」について書きます。

きっかけは、宋世羅さんのYouTube動画です。

「ダサい」という感情を扱った内容で、とても共感したため、この記事を書きました。

詳しくは書けませんが、最近、「この人はダサいな」「これでは人に慕われないだろうな」と感じる場面がいくつかありました。

「人のふり見て我がふり直せ」という言葉に100%同意なので、この記事で言語化し、自分への戒めにしたいと思います。

「ダサい」という言葉は、どこか軽い響きがあります。

判断軸として語るには、少し幼稚に聞こえるかもしれません。

ただ、私は、「ダサいと思うかどうか」という個人的な感覚は、思っていた以上に大切な価値観であり、判断軸になると感じています。

なお、先にお断りしておきます。

これはあくまで、自分自身に向けた物差しの話です。

他人を「ダサい」と裁きたいわけではありません。

自分の行動を決めるときの基準として、どう使っているかを書いてみます。


行動を止めるのは、理屈よりも「ダサい」という感情

動画の中で、「ダサい」についてのたとえ話がありました。

DV(配偶者や恋人への暴力)をする人としない人の違いは、何でしょうか。

「それが悪いことだと、頭で分かっているかどうか」ではない、というのです。

違いは、「それをやるのはダサい」と腹の底から思っているかどうか。

この話には、なるほどと思いました。

「悪いことだ」「正しくない」という理屈は、頭では理解できても、行動を止める力が意外と弱い。

一方で、「ダサい」という感情は、自分の内側から湧いてくる強いブレーキになります。

浮気、薬物、金銭トラブル、詐欺まがいの商売なども、同じ構造だそうです。

やる人とやらない人を分けているのは、理屈ではなく、「それをダサいと思っているか」なのだと。

何かを判断するとき、よく使われる軸は「損か得か」と「正しいか間違っているか」でしょう。

どちらも大事です。

ただ、この2つは、立場や状況によって揺れます。

その点、「ダサいかどうか」は、自分の中でわりとブレません。

理屈を考える前に、「これはやりたくない」と感じるからです。

この感覚には、2つの働きがあると思っています。

1つ目は、ブレーキです。

得になりそうでも、ダサいと感じることはやらない。

目先の損得に流されそうなとき、止めてくれます。

2つ目は、背中を押す力です。

面倒でも、やった方がカッコいいと思えることは、やる。

迷ったときの後押しになります。

動画では、理屈で動くことを「軽自動車のエンジン」、ダサいという感情で動くことを「ランボルギーニのエンジン」にたとえていました。

どちらも前には進みますが、パワーがまるで違うということです。


「ダサい」と感じる基準は、人それぞれで、上がっていく

もう一つ、動画で印象的だったのが、「ダサい」と感じる分野は人によって違う、という話です。

動画の話者の方は、会社員時代にFP1級の試験に落ちても、「ダサい」とまでは思わなかったそうです。

やった方がいいとは分かっていても、強い感情が伴わなかったため、行動に結びつかなかった。

一方で、「仕事で逃げる・甘える」ことは、ダサいと感じる。

「売上目標に届かないのはダサい」という感情が、数字を達成する強いエネルギー源になっていた、とも語られていました。

つまり、「ダサい」と感じる分野が、その人の行動力の源になっている。

逆に言えば、ダサいと感じない分野では、歯止めがききにくくなります。

仕事では高い成果を出しているのに、別の分野では乱れている人がいる理由も、ここにあるのでしょう。

そして、このダサいと感じる基準(バー)は、成功体験とともに上がっていくそうです。

100万円で満足していた人が、200万円、300万円と、ダサいと思うラインが上がっていく。

「有言実行できないのはダサい」と感じる人には、有言実行が効く。

そう感じない人には、効かない。

この話を聞いて、自分は何をダサいと感じているのかを、一度言語化しておきたいと思いました。

動画では、人を信用できるかどうかも、「その人が何をダサいと感じているか」で見えてくる、という話もありました。

確かに、何をダサいと感じるかには、その人の価値観が出ます。

では、私が具体的に何をダサいと感じるのか。

4つ挙げてみます。


ダサいこと① 自分を磨いていない

1つ目は、自分を磨いていない人です。

私が言っているのは、太っているとか、見た目が整っていないといった状態そのものではありません。

体型は、体質や病気、環境など、人それぞれ事情があります。

そこを「ダサい」と言うつもりはまったくありません。

私がダサいと感じるのは、**「磨ける余地があると分かっていながら、放置していること」**です。

たとえば、外見です。

外見が、人の印象や仕事の評価に影響することは、多くの人が理解していると思います。

第24回では非言語の価値について書きましたし、第43回でも清潔感や丁寧さの話をしました。

それを分かっていながら、

・身体を鍛えない

・食事に気を使わない

・自分に合った服装を選ばない

という状態を続けているのは、勿体ないと思うのです。

正直、これは自分への戒めでもあります。

外見を磨くことは、見栄のためだけではありません。

相手に対する敬意でもあります。

清潔感があり、整っている人と会うのは、それだけで気持ちが良いものです。

そして、身体を鍛え、食事を整えることは、自分自身のパフォーマンスにも直結します。

磨ける余地があるなら、磨く。

それをしないのは、自分のポテンシャルを放置しているようで、ダサいと感じます。


ダサいこと② 人を下げる

2つ目は、人を下げる人です。

揚げ足を取る。

重箱の隅をつつく。

誰かのミスを、わざわざ指摘して回る。

こういう振る舞いを見ると、「ダサいな」と思います。

理由は、人を下げても、自分は何も高まっていないからです。

相手を下げて、相対的に自分が上に見えたとしても、それは錯覚です。

自分自身は、昨日と何も変わっていません。

むしろ、そういう振る舞いをする人は、周りから敬遠されます。

人を下げる行為は、自分の評判を静かに下げていきます。

指摘すべきことは指摘する。

ただ、揚げ足取りのように、相手を下げること自体が目的の指摘は、ダサい。

私はそう思っています。


ダサいこと③ 余裕がない

3つ目は、余裕がない人です。

ここも、ただ「忙しい人」を指しているのではありません。

余裕がないせいで、周りに当たったり、冷たくなったりする人のことです。

余裕がない人間は、人に優しくできません。

そして、優しくない人間は、ダサい。

私はそう考えています。

余裕がなくて、他人に八つ当たりをしたり、不機嫌を撒き散らしたりするのは、見ていて残念な気持ちになります。

もちろん、私にも余裕がなくなる日はあります。

人間なので、仕方ない部分もあります。

ただ、余裕がないことを理由にして、周りに雑に接していいわけではありません。

自分の機嫌は、自分で取る。

余裕がなくなりそうなときほど、意識してそうありたいと思っています。


ダサいこと④ 自分の人生を生きていない

4つ目は、自分の人生を生きていない人です。

他人の人生に振り回される。

たとえば、有名人のゴシップに、ああだこうだとコメントする。

他人の成功や失敗ばかりが気になって、批評して回る。

こういう姿を見ると、「ダサいな」と思います。

誤解のないように書くと、芸能ニュースを見ること自体や、他人に関心を持つこと自体を否定したいわけではありません。

息抜きとして楽しむのは、全然アリだと思います。

私がダサいと感じるのは、他人のことを語る時間やエネルギーの方が、自分の人生に向けているそれより大きくなっている状態です。

他人のゴシップに時間を使っても、自分の人生は何も前に進みません。

他人の人生にコメントする暇があるなら、自分の人生にコメントを残せるくらい、動いた方がいい。

そう思っています。

これも自分への戒めです。

SNSを眺めていると、気づけば他人の話題で時間が溶けていることがあります。

そのたびに、「今、自分は自分の人生を生きているか」と問い直すようにしています。


4つの共通点は「自分を高めていない」こと

ここまで4つ挙げましたが、書いていて気づいたことがあります。

この4つには、共通点があります。

それは、**「自分を高めていない」**ということです。

① 自分を磨いていない

磨ける余地があるのに放置している。

これは、自分を高める努力を放棄している状態です。

② 人を下げる

自分を高める代わりに、他人を下げて、相対的に上に立とうとしています。

自分は何も変わっていないのに、です。

③ 余裕がない

余裕は、日々の準備や、自分の状態を整える努力から生まれます。

それが足りないから、余裕がなくなり、人に優しくできなくなる。

④ 自分の人生を生きていない

自分を高めることに使うはずの時間とエネルギーを、他人の話題に使っています。

向ける先が、自分ではなく他人になっているということです。

つまり、どれも根っこは「自分を高めること」から目を背けている状態です。

私は、そこに「ダサさ」を感じているのだと気づきました。


逆に、カッコいいと思う人

では逆に、どんな人をカッコいいと思うのか。

私の場合、次のような人です。

・内面も外面も磨いている人

・周りから尊敬されている人

・チャレンジし続けている人

・自分の人生を生きている人

内面も外面も磨いている人は、見た目も振る舞いも、一貫して整っています。

周りから尊敬されている人は、人を下げる必要がありません。

自分が積み上げてきたものが、そのまま評価になっているからです。

チャレンジし続けている人は、現状に満足せず、自分を高め続けています。

自分の人生を生きている人は、他人の評価やゴシップに振り回されません。

自分のやるべきことに、時間とエネルギーを使っているからです。

こういう人たちには、共通して余裕があります。

そして、その余裕が、他人への優しさにもなっています。

先ほどの4つのダサいことの、ちょうど逆です。

自分を高め続けている人は、カッコいい。

これが、今の私の答えです。


まとめ

今回は「ダサいかダサくないか」について書きました。

「悪いことだから」「正しくないから」という理屈は、意外と行動を止める力が弱い。

一方で、「ダサい」という感情は、自分の内側から湧き出る、強いブレーキであり、背中を押すエンジンにもなります。

私がダサいと感じるのは、次の4つです。

① 磨ける余地があると分かっていながら、自分を磨かないこと

② 人を下げること

③ 余裕がなく、人に優しくできないこと

④ 他人の人生に振り回され、自分の人生を生きていないこと

そして、この4つの根っこは、**「自分を高めていない」**ことだと気づきました。

「ダサい」という言葉は幼稚に聞こえがちですが、損得や正誤よりもブレにくい、大人こそ持っておきたい判断軸だと思います。

ただし、これはあくまで自分に向けた物差しです。

他人を裁くためではなく、自分がどうありたいかを決めるために使いたいと思っています。

とはいえ、私自身も、ダサくなる瞬間は山ほどあります。

だからこそ、この物差しを持っておく意味があるのだと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


おまけ

「余裕がない人間はダサい」と書きました。

しかし、時間に余裕を持つことは、個人的にめちゃくちゃ苦手です。

仕事ではなんとかなっているのですが、プライベートでは、結構な確率で約束の時間に遅刻します。

だいたい、時間の見積もりが甘いのです。

遅れたら申し訳ないという気持ちはあるので、間に合わなそうなときに車が渋滞していたりすると、イラつきます。

客観的に見て、正直ダサいです。

余裕のあるカッコいい人間になれるよう、頑張っていきます。

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